mebius. 『グノーシア』

グノーシアは嘘をつく。人間のふりをして近づき、だまし、そして身近な人間を一人ずつ、この宇宙から葬り去る――

概観

  いわゆるネット人狼をやったことある人間なら誰しも、一度は騙りを盛大にミスって戦犯になったことがあるだろう。大体そんな場合は反省会に入り次第、居たたまれなくなってもう二度とこんなゲームやるかと逃げ出し、最低でもハンドルネームを変える羽目になる。

 『グノーシア』はそんな事態に一切陥ることなく『汝は人狼なりや?』を一人で楽しめるSF人狼ゲームだ。

 主人公は宇宙船の中で突然目覚め、現在の状況もわからないまま、セツと名乗る汎(イーガンの『万物理論』とかで出てくるアレ)に導かれ、船員の中に潜む敵、「グノーシア」を見つけ出す戦いに挑むことになる。

 設定上、「グノーシア」は人間と変わらない姿をしているが人間に対して敵対的で、船のワープ的な移動の際に一人ずつ船員を「消滅」(いわゆる「噛み」)させていく。人間側は、「グノーシア」による被害者がいなくなるまで、話し合いで怪しい人物を一人ずつ「コールドスリープ」(いわゆる「吊り」)させていくことで抵抗を試みる。このような設定でSF化された『人狼』を、最大十四人の個性豊かなキャラクターたちとプレイしていくのがこのゲームの基本的な流れだ。

 もちろん、『人狼』と同じように、役職があり、推理とコミュニケーションによってゲームは進行していくが、リアルのそれとは違い、ゲームの参加者の発言はスキル・コマンドという形で実行される。特定の誰かを攻撃するか、あるいはかばうか、そして誰かの発言に乗じるか、それとも反論するか。このスキルの強さは、各キャラクターの能力に依存しており、主人公はレベルを上げることによって、よりゲームの主導権を握れるようになる。この部分は非常にRPG的であると言える。

 しかしこれらの要素は決して、人狼ゲームとしての『グノーシア』の魅力を損なってはいない。

人狼ゲームとしての『グノーシア』

 『グノーシア』が大きく『汝は人狼なりや』と異なる点は、能力値の概念の他には以下のようなものである。

・主人公が冷凍、あるいは消滅した時点でゲームが終了する。

・最初潜伏して後から対抗COや、狼側(グノーシア)の狐(バグ)告発などが無い

 このうち前者は、『人狼』というチーム戦を考えたとき最も問題になる点である。死んだ時点ですべてが終わってしまうのだから人柱などやってる余裕はないし、騙りが失敗した時などに試合展開を最後まで見ることが出来ずに終わってしまうことは多い。これは周回による能力値の上昇で大体解決できる。吊られにくくする「かわいさ」、噛まれにくくする「ステルス」という能力を十分上げれば、論理の破綻以外では中々死ななくなる(それはそれでどうなのという気はするが)

 このような相違点を除けば、『グノーシア』は非常に『人狼』に忠実に造られている。役職は十分なものがそろっているし、キャラクター達もしっかりと考えて投票したり騙ったりする。破綻とか自己視点とかちゃんと守るのでそこらへんも結構『人狼』プレイしている感を得られる(たまに好き嫌いで投票が決まるが『人狼』とか結局はそういうゲームなのかもしれない)。最終日まで生き残れないと勝敗が分からない分、勝利の喜びもかなり大きい。

 役職ごとの重みが微妙に『人狼』と違うのも新鮮さがあって良い。例えば、『人狼』においては勝率最低の「妖狐」枠である「バグ」は、狼による告発がなく、また2占進行でも容赦なく最初から吊りにいく関係から体感生存率が高い。特に「かわいげ」の高いイルカとククルシカ、SQ辺りが「バグ」の際吊れずに負けまくって発狂していた。「哀しむ」とかいうスキル強すぎる。

 逆に、騙りの自由度が高いことからみんな大好き「狂人」枠である「AC狂信者」は、プレイヤーで勝利するのが最も困難な役職である。最後まで生き残らなければならないからだ。

 そして個人的に気に入っているのが「村人」枠である「船員」だ。『人狼』における「村人」の役割は大体以下のようなものだと私は認識している。

・吊られることで潜伏する村役職を守る

・噛まれることで潜伏する村役職を守る

・勝負を決める場面まで生き残った時、騙りを見破り、人狼を見つけ出し勝利する

 割と重要な「村人」だが、すぐ死んでしまうだとかやることないだとかで好きでない人も多いのかも知れない。しかし、『グノーシア』ではレベルさえ上げれば死なない「村人」が出来るのである。あくまでも素村の視点から、真の役職を見ぬき、大衆を扇動し、狙い通りに一人ずつコールドスリープさせていくのはえも言われぬ快感である(たまにやりすぎて吊られるか噛まれる)。

 また、回数を重ねてプレイしていくうちに各キャラクターの個性が見えてくるのが面白い。例えばしげみちというキャラクターは余りにもウソが下手で、人外をやると大体騙った瞬間にウソを見破られてものすごい投票を集めて沈んでいく(味方になると軽く絶望する)。逆に夕里子というキャラクタ―は能力値が高く、敵に回すと恐ろしいが故に、大体村側の時は早めに消滅させられてしまう。このような個性を掴んでいくと、通常の『人狼』の進行とは別に、こいつがここまで残ってるのが怪しいだとか、こいつとこいつはかばい合ってるから怪しいだとか、嘘を見ぬきやすいキャラが疑ってるからこいつが怪しいだとか、『グノーシア』ならではの戦い方をできるようになっていく。

 このような側面のため、慣れてしまうとゲーム展開がワンパターンになりがちではあるが、そこはイベントによって縛りが追加されたりなどでしっかりとケアされている。何より、多分グレランするよりマシ。

ループものとしての『グノーシア』

 ここまで『グノーシア』の人狼ゲーム部分(討論部分)について語ってきた。『グノーシア』は一人用人狼シミュレータであることに重きを置いており、物語の部分はあくまで控えめなボリュームである。しかしそれは『グノーシア』が物語として優れていないということを意味しない。

 『グノーシア』は特定のキャラクターが、ある一定の期間を繰り返し体験するという要素を盛り込んだ、俗に言うループものである。その中でも特異な点は、読み手(プレイヤー)が主人公の繰り返しを同じ情報量で追体験することにある。

 ループものが何たるかについては下手に手を出すと火傷するので多くは語らない。しかし、ここではループものが何故面白いのかについて考えたい。

 そもそも物語を面白く感じるのはどのような時か。それは読み手が物語に対して何らかの発見を見出す時であると私は考えている。恐怖の源泉である未知を、自らのまなざしを通して理解し、自分の一部として支配する。そこには「知る」という行為の根源的快楽がある。

 物語の面白さをそう仮定した時、ループものはある決まった期間における舞台、登場人物が持ちうる可能性を、反復と差異を通して徹底的に発見しようとする試みであると定義することが出来る。現実では、全く同じ瞬間は二度と来ない。「在りえるかもしれない未来」は、「在りえたかもしれない未来」になった瞬間に全くの無意味になる。だが、反復する時間の中ではそうではない。ある限定された時間における可能性を、全て試行し、発見することが出来る。ループものの物語としての面白さはここにある。

 例えば小説の登場人物が七日間を反復的に三回体感するとしよう。それはどのような紙幅となるか。最初の一回目が百ページとすれば、二回目は三十ページで、三回目は十ページだろう。全く同じことを体験するのは人間にとって苦痛だからだ。大抵の場合ループものはループ中、前のループと同じことは「前のループと同じだった」と書いて済ませ、差異のみを描く。あるいは、「そうして百万回のループが過ぎ去った」だとか。実際に同じことを同じ情報量でやれば某アニメのエンドレスなんちゃらみたいになるわけだから当然だが。

 しかし『グノーシア』では違う(本題)。1ループは1ゲームであり、主人公が持つ情報量は、プレイヤーが持つ情報量とほとんど同一である。つまり『グノーシア』は短時間で『人狼』が遊べるゲームであると同時に、ループものを自分の分身とともに体感できるゲームなのだ。そこには反復への嫌悪があり、差異への喜びがあり、そして発見の楽しみがある。味方となったり敵となったりしながら、一癖も二癖もある登場人物たちにどんどん惹かれていくのも、『グノーシア』の構造が影響しているのだと思う。

 ちなみにこのタイムループ体験的な面では『グノーシア』における「もう一人の時間遡行者」が大きな役割を果たしている。時間遡行者の孤独が扱われる作品が多いためか、こういう相棒的なのがいるパターンのループものは初めてやった。正直好きにならないわけがない。

SFとしての『グノーシア』と所感

 大体これ以下は(「これ以下も」かもしれない)ただの小学生並みの感想である。『グノーシア』はループもの抜きにして単純なSFとして読んでも面白い。当然のように登場する汎とかいう性別からも分かる通り、作品全体にSFへの愛が感じられ、それが独特の雰囲気を作っている。コールドスリープや消滅といったワードからも分かる通り、『人狼』のグロテスクさは極力抑えられ、代わりに宇宙空間という舞台が持つ哲学的冷たさ(何を言ってるんだこいつは?)を感じられる雰囲気がある。

 ゲームの進行とともに登場人物たちの設定が明らかになっていくのだが、これがまあ奇妙な人(?)ばかりであり、一人につき一本の短編小説を書けそうなレベルである。全ては語られず、断片的に提示されるだけだが、その一つ一つの設定とかキャラクターを作者が大切にしていることが随所から伝わってくる(グノーシアになると一部キャラは顔芸するけど)。個人的にはラキオとかコメット周りの設定がすごくSFっぽくて好きだった。

 というか敵になってムカついてたキャラはいたけど(大体頑張って勝ったらバグに持ってかれた時)全体を通して嫌いなキャラがいない。個人的にダンガンロンパとかと大きく違うところはそこだった。

 終わり方も鮮やかでこれ以上なくすっきりするエンディングだった。ノーマルエンドでもやもやさせておいてトゥルーエンドで鮮やかに伏線を回収するのは定番とは言え何度味わってもよいものだ。

 真エンドまで見て129周、lv141でクリア。ボリューム的にはやや物足りない部分はあったが、自分の中で好きなゲームの一つになった。