スパイク・チュンソフト『絶対絶望少女』

希望の先にある、絶対的絶望。

概観

 ハイスピード推理アクションADVの名作、ダンガンロンパの外伝にあたる本作は、その趣を大きく変えたアクションSTG風のゲームである。

 まずこのゲームは時系列的に『ダンガンロンパ1/2』の中間に位置するゲームであり、それらの作品と密接な繋がりを持つ。故に『ダンガンロンパ』について先に書いておかなければいけない気がしたのだが、諦めた。

 なにせプレイしたのが六、七年前のことである。というか1が出てから既に十年経っている。多分シリーズの黒幕を知らないやつの方が少ない。アニメとかももはや隠す気すら無い。すでに散々語り尽くされているコンテンツであり、うろ覚えの知識で語るくらいだったら書かん方がマシということになった。(まあ私の書く駄文など全て書かん方がマシなのだが)

 というわけで以下はただの日記帳であり、希望ヶ峰学園を巡るダンガンロンパをやったことある人に向けた駄文。ネタバレ配慮は浜で死にました。

 

『希望』のその先、『絶対絶望少女』

 つまりこの作品の意義は、1のエンディングで苗木誠が開いた、希望ヶ峰学園の扉のその向こう側のその世界を体験できることにある。

 『ダンガンロンパ』というゲームのコンセプトの一つとしてクローズドサークルでのコロシアイ、及び犯人当てゲームである学級裁判がある。コロシアイとは常にお互いがお互いを殺せる距離にあることを示し、また犯人当てをゲームとして成立させるためには、犯行可能性について限定が必要であるから(あくまで犯人当ての前には容疑者が提示されなければならない)、クローズドサークルが舞台となるのは、当然の帰結である。

 故にダンガンロンパ1/2は、いずれもそのクローズドサークルから脱出する決意を抱いた時点で終わり、その向こう側の『絶望』が描かれることがない。

 しかし『絶対絶望少女』は推理ゲームではなく、外側の人間、苗木こまるを主人公として、そんな外側の世界を描く。苗木誠たちのその後の苦労がわかるだけでやる価値がある。解放されたイカれた世界を歩き回ったりするのも面白い。(いささか下品過ぎるが)

外側の世界と、外側の二人

 また、『絶対絶望少女』は、舞台設定だけではなく、主人公2人も外側として描く。つまり、苗木こまるであれば、それは希望でも絶望でもなく、何の才能も持たない苗木こまるとして。

 才能は『ダンガンロンパ』の世界を語る上で重要なファクターである。単になんちゃらが得意というよりもスタンド能力とかそういう類のものに近い。某私様やつまらない人がやる通り、それはまた測ったり再現が可能なものである。

 そういったものとして超高校級の彼らを見た時、最も問題となる才能は、もちろん「超高校級の幸運」である。ただ偶然選ばれただけである苗木誠は、自らを「前向きなのだけが取り柄」の普通の人間と称する。では苗木誠は「幸運」の才能を持っていないのかというと、これは明らかに持っている。(特にアニメのダンガンロンパ3の描写は常軌を逸している。異能生存体か?)つまり苗木誠は言うほど全然普通の人ではない。

 それに対して、日向創は常人と超人の境界で苦しむキャラクターである。彼が両方に属している境界人であることは、いわゆる覚醒状態の彼の姿となって現れる。

 また、2における重要な登場人物である狛枝凪斗は日向創の才能に重きを置く部分のペルソナであり、七海千秋は創られた才能という点で日向創のペルソナである。いずれにせよ常人であるが、常人ではないというアプローチのキャラクターだと言える。

 つまり全くもっての普通の人の主人公(希望が峰学園の外側)ということが苗木こまるのコンセプトであり、意義であると言える。

 それに対して腐川冬子は、ダンガンロンパ1において最も例外だった人間である。腐川冬子はダンガンロンパ1の下記の暗黙の構造に違反している。

①登場人物は黒幕側を除き記憶を失っており、それ故にかつて同級生の友人であったにもかかわらず殺し合う。

②登場人物たちは本来は友好的な関係を築くことが可能な(あるいは築いていた)善人であるにもかかわらず、①により殺し合う。

③学園内より学園外の方が危険であるが、①により登場人物たちは外の世界に出るために自主的に殺し合う。

 以上が超高校級の絶望が仕掛けた絶望の全量である。後続の作品のやり口と比べると如何に狡猾だったかがよくわかる。つまるところ、才能を持つ善良な人間が、倫理や友情などと言ったものを、自分からかなぐり捨てた上、自分だけ生き残ろうとする人間の醜さを晒し、その上でその全てが無駄にすぎないことを知らしめるショーのためには、①-③の条件は欠かすことができない。

 だが、腐川冬子=ジェノサイダー翔のみはこれら全てに違反している。

①:ジェノサイダー翔は記憶を失っていない。

②:元々殺人鬼であり、善良ではない。

③:ジェノサイダー翔は外の世界について知っている。

 これは冷静に考えると色々ヤバく、まずこいつの存在を許容した時点で、江ノ島盾子を悪と断ずることができるのか?という深刻な倫理問題が発生する。しかも身体能力が高すぎる。具体的にいうと残姉とタイマン張れる程度。モノクマも余裕でぶっ倒せるレベルなので、コロシアイ学園生活でもほとんど殺される心配はなかったと言ってもよい。創造神のお気に入りだけあってまさに例外的存在である。

 まあそういう例外的存在と逆に例外である凡人のこまるのタッグで外側の世界を生きる外伝、それが『絶対絶望少女』なのである。

チラシの裏

 ここまで書いといて、ゲームとしては割と微妙だった気がする。特にカメラがマジで終わっている。ボス戦のオート視点移動に発狂しそうになった。繰り返されるモノクマパズルもまあ楽しいかと言われるとそうでもない。

 差し込まれる映像はなんかかなり気合が入ってた。それだけでもまあ買う価値はあるかもしれない。ファンサービスといった趣のみが強い場面も多々あったが。やったことないけど多分思いっきり絶体絶命都市のパロディ。

 自分が知っているシリーズの中で一番倫理的にやばい。下ネタ多すぎるし、何より敵が小学生なのが最悪すぎる。アメリカだったら発禁になってるレベル。それ故に「おしおき」が何とも生ぬるいものに。これは3への文句だが、あんだけ大人の死体転がしといて、生きてちゃダメだろ。

 モノクマが踊る。正直モノクマはマスコットとして売るにはデカすぎるしデザインが色々凶悪だしアレだが、正直モノクマがいるのでダンガンロンパやってるとこあるので、概ね満足。でもボールモノクマだけは今すぐアプデで存在ごと消せ。

 有能な御曹司と無能な占い師とかがファンサの面から言うと良い。

 あと狛枝が喋るので百点です。出せば点が取れるずるいやつ。でも怪演すぎて好き。僕の銅像を立てて欲しいとことか。

 希望の戦士は……ちょっと......倫理的に……。あと超小学生級ってなんだよ(哲学)。

まあこまると腐川の友情とかもベタすぎるけど良かった気がする。塔和なんとかって人は刹那で忘れちまった。

 ダンガンロンパの露悪的なとことか臭いとことかが好きな人なら好きなゲームだと思います。やってる時はボロクソ言ってたけど今思い返すと何となく面白かった気がする。多分。でもやり込む気はゼロ。